社会的なものを組み直す: アクターネットワーク理論入門 (叢書・ウニベルシタス) epubダウンロード無料

社会的なものを組み直す: アクターネットワーク理論入門 (叢書・ウニベルシタス)

, 伊藤 嘉高

によって 伊藤 嘉高
4.8 5つ星のうち 2 人の読者
ファイルサイズ : 21.96 MB
内容紹介 主体/客体あるいは人間/自然といった近代的世界認識を超え、脱中心的なネットワークとして社会を記述するアクターネットワーク理論。アーリ、ラッシュら多くの社会学者に影響を及ぼし、技術社会論、情報論、経営学、地理学、人類学、哲学、アートにもインパクトを与えた方法論を、提唱者であるラトゥール自身が解説する。現代の知見をふまえてアップデートされたラトゥール社会学の核心。 目次 謝辞 序章──連関をたどる務めに立ち帰るには 第Ⅰ部社会的世界をめぐる論争を展開させるには はじめに──論争を糧にすることを学ぶ 第一の不確定性の発生源──グループではなく、グループ形成だけがある グループ形成が残す痕跡のリスト ノー・ワーク、ノー・グループ──働きかけがなければ、グループはない 媒介子 対 中間項 第二の不確定性の発生源──行為はアクターを超えてなされる 〈アクターが行為する〉ように他の多くのものがしている 実地に根ざした形而上学を探究する エージェンシーをめぐる論争を地図に示すためのリスト 誰かに何かをさせる方法 第三の不確定性の発生源──モノにもエージェンシーがある 働いているアクターの種類を増やさなくてはならない モノを行為の進行に与するものにする モノはところどころでしか痕跡を残さない モノの活動が簡単に可視化される状況のリスト 権力関係を忘却してきたのは誰なのか 第四の不確定性の発生源──〈厳然たる事実〉対〈議論を呼ぶ事実〉 構築主義 対 社会構築主義 科学社会学の幸いなる難破 社会的説明は必要ない 翻訳 対 移送 経験には目に映る以上のものがある 〈議論を呼ぶ事実〉を展開するのに資するリスト 第五の不確定性の発生源──失敗と隣り合わせの報告を書きとめる テクストを書くのであって、窓ガラスを通して見るのではない ついにネットワークが何であるのかを定義する 基本に帰る──ノートのリスト 批判ではなく、展開 アリ/ANTであることの難しさについて──対話形式の幕間劇 導入──消極的な理論と積極的な理論 ネットワークと、記述の重要性について 解釈的なパースペクティブと客観主義的なパースペクティブについて 相対主義、ANT、コンテクストについて 文字による記述、作り話、論文について 痕跡を残さないアクターと、研究から学ぶ必要のないアクターについて 反省性と説明について 構造主義とANTの果てしない隔たり 科学、権威、意義について 第Ⅱ部連関をたどり直せるようにする はじめに──社会的なものをたどることは、なぜ難しいのか? 社会的なものをフラットな状態に保つ方法 第一の手立て──グローバルなものをローカル化する パノプティコンからオリゴプティコンへ パノラマ 第二の手立て──ローカルなものを分散させ直す 分節化、ローカル化の装置 対面的な相互作用という場の怪しさ プラグイン アクターから、分かちがたい結合へ 第三の手立て──複数の場を結びつける 規格から収集型の言表へ ついに媒介子 プラズマ──ミッシング・マス 結章社会から集合体へ──社会的なものを組み直すことは可能か どのような政治認識論なのか? 数あるなかの一学問分野 政治の異なる定義 訳註 訳者あとがき 文献一覧 事項索引 人名索引 内容(「BOOK」データベースより) 物事がめまぐるしく変化し、分野の境界があいまいになっていく社会を、従来の社会学はもはや記述することができない。技術社会論、情報論、経営学、地理学、人類学、哲学、アートなど、領域を超えて注目されるアクターネットワーク理論をラトゥール自身が解説する。 著者について ブリュノ・ラトゥール(ラトゥール ブリュノ) (Bruno Latour) 1947年、フランス東部ブルゴーニュ地方のボーヌ生まれ。1975年にトゥール大学より哲学で博士号を取得。1982年から2006年までパリ国立高等鉱業学校教授、その後、2017年までパリ政治学院で教授を務めた。現在は、同学院名誉教授。主な日本語訳に、『科学が作られているとき──人類学的考察』(川崎勝・高田紀代志訳、産業図書、1999年)、『科学論の実在──パンドラの希望』(川崎勝・平川秀幸訳、産業図書、2007年)、『虚構の「近代」──科学人類学は警告する』(川村久美子訳、新評論、2008年)、『法が作られているとき──近代行政裁判の人類学的考察』(堀口真司訳、水声社、2017年)、『近代の〈物神事実〉崇拝について──ならびに「聖像衝突」』(荒金直人訳、以文社、2017年)、近著に、Face à Gaïa: Huit conférences sur le nouveau régime climatique (La Découverte – Les Empêcheurs, 2015)、Où atterrir?: Comment s’orienter en politique (La Découverte, 2017)などがある。 伊藤 嘉高(イトウ ヒロタカ) 1980年生まれ。2007年、東北大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。山形大学大学院医学系研究科助教、講師を経て、2018年から新潟医療福祉大学医療経営管理学部講師。主な論文に‘Working condition of nurses in Japan: awareness of work-life balance among nursing personnel at a university hospital’, Journal of Clinical Nursing,20: 12–20, 2010、‘Employment status among non-retired cancer survivors in Japan’, European Journal of Cancer Care, 24 (5): 718–23, 2015、翻訳にJ. アーリ『社会を越える社会学』(吉原直樹監訳、法政大学出版局、2006年)、J. アーリ『グローバルな複雑性』(吉原直樹監訳、法政大学出版局、2014年)、J. アーリ『モビリティーズ』(吉原直樹と共訳、作品社、2015年)。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) ラトゥール,ブリュノ 1947年、フランス東部ブルゴーニュ地方のボーヌ生まれ。1975年にトゥール大学より哲学で博士号を取得。1982年から2006年までパリ国立高等鉱業学校教授、その後、2017年までパリ政治学院で教授を務めた。現在は、同学院名誉教授 伊藤/嘉高 1980年生まれ。2007年、東北大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。山形大学大学院医学系研究科助教、講師を経て、2018年から新潟医療福祉大学医療経営管理学部講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
以下は、社会的なものを組み直す: アクターネットワーク理論入門 (叢書・ウニベルシタス)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
「社会的なもの」(the social)とはいったいなんでしょうか。概念的な広狭からまずは文化(culture)について一言しておきます。人類学の成果等によると、そもそも文化とは次の2項に分かれます。即ち、自然文化(文明)としての固有環境での生活技術体系(natural civilization)と、法社会技術としての現地小社会の統合(social institution)です。概念的には社会は文化よりも狭く、文化の中に含まれ、やはり進化します(詳細は『文化人類学15の理論』など)。その流れはあたかも回路のように還流しており、固有の自然を普遍文化へとつなぐ架け橋なのです。前者はその点具体的ですが、後者はかなり抽象的です。そこで、「社会的なもの」を紡ぎ出すということは、高度な抽象性の発揮を意味し、その一例としては「日本国憲法」などもありえます。本書はいわゆる「アクターネットワーク理論」の入門書として、社会的動因間をコネクトすることによって、一社会の全体像がつかめるようにするという発想に出たものであり、抽象度・応用度の高い理論だと思います。つまり、社会というマクロな人間集団は日々、諸個人の意志からは疎外された思いもよらぬ挙動を見せるわけなので、その規定因子のいくつかを抽出し、ヨコにつなげば社会的動態論(social dynamics)が展開できると信じます。そうした動態論に関心の向きに本書をおすすめしておきます。

0コメント

  • 1000 / 1000